正直、おむつ交換よりもしんどかったです。
今の祖母は要介護4。車椅子で生活し、おむつ交換や移乗にも介助が必要です。
身体的な負担は、今のほうが大きい。それでも私は、祖母が自分で歩けていた頃のほうがつらかったと感じています。
もちろん、動けること自体が悪いわけではありません。
ただ、わが家の場合は、短期記憶が弱くなった祖母が自由に動けたことで、いつ何が起きるか分からず、目を離せない状態が続きました。
これは、祖母と実際に暮らして初めて分かったことです。
▶プロフィール
同居前は「祖母なら大丈夫」と思っていた
私は看護師として働いていたため、認知症については、ある程度分かっているつもりでした。
認知症のある患者さんへの接し方も知っていました。
- 生活のリズムを崩さない
- できることは本人に任せる
- 安心できるように声をかける
- 強く否定しない
そうした基本的な関わり方は、理解しているつもりでした。
祖母は会話もでき、一人暮らしもしていました。
もともと口数が少なく、テレビを見ながらちょこんと座っているイメージでした。
「ぽにょっとしたかわいいおばあちゃん」
ゆっくり祖母のペースで関わっていけば大丈夫。
そう思っていました。
正直、なめていたのだと思います。
動けるからこそ、目を離せなかった
同居を始めると、それまで見えていなかったことが次々に出てきました。
「デイサービスはまだか?」
「今日は何月何日だ?」
同じ質問を、何度も繰り返します。
答えてから1分もたたないうちに、また同じことを聞かれる。多い日は、同じやり取りを何十回もしました。
それだけではありません。
冷蔵庫や棚を開けて、食べ物を探すこともありました。
冷凍のからあげをかじり、食べられずに袋へ戻す。トマトをかじり、食べられないとゴミ箱へ捨てる。
飴やアイスも、あるだけ食べようとします。
トイレの使い方や手洗いも気になりました。
外へ出ていこうとすることもあり、玄関にも注意が必要でした。
ひとつひとつを見れば、小さなことなのかもしれません。
でも、それが一日中続きます。
止めても、そのやり取り自体を祖母は忘れてしまいます。
伝わらないというより、伝えたことが残らない。だから、同じことが何度も繰り返されます。
私はいつも、祖母が今どこにいて、何をしているのかを気にしていました。
仕事での認知症介護と、自宅での介護は違った
病院でも、認知症のある患者さんと関わってきました。
点滴を抜いてしまったり、安静が必要でも歩いてしまったりする方はいます。
それでも仕事には、一応の区切りがあります。
勤務時間が終われば、家に帰ることができます。困ったときは、ほかの職員に声をかけることもできます。
でも、自宅での介護には終わりがありません。
朝も昼も夜も、祖母との生活が続きます。
私は認知症について知らなかったわけではありません。
ただ、知識があることと、自分の家で24時間一緒に暮らすことは、まったく別でした。
赤ちゃんを抱きながら、祖母にも答える
祖母との同居を始めたとき、第一子は生後1か月でした。
初めての育児で、私の中には「こうしなければ」という思いが強くありました。
「泣いたらすぐに抱っこしなければ」
「子どもの前では笑っていなければ」
今なら「ちょっと待ってね」と言えることでも、当時はそれができませんでした。
子どもが泣いて、抱っこしようとすると、祖母から「デイサービスはまだか」と聞かれる。
祖母に答えている間も、子どもが気になる。
どちらに対応していても、頭の中には、もう一方のことがありました。
トイレに行けない。
ごはんを食べる時間がない。
歯磨きもできない。
そんな日もありました。
祖母がデイサービスへ行っている間は、洗濯や買い物、掃除、子どもの世話をします。
祖母と離れている時間はあっても、私が休める時間ではありませんでした。
宅配食も利用していました。
食べる時間すら取れないことはありましたが、「食事を作らなくていい」というだけでも、本当に助かりました。
この時期に利用していた宅配食についてまとめています。
▶産後1ヶ月で介護がはじまった私が、【ワタミの宅食】に救われた話
祖母を「汚い」と感じるようになった
当時は産後だったこともあり、衛生面にとても敏感になっていました。
祖母のトイレットペーパーの使い方や、手洗いが十分にできているかが気になる。
祖母が触ったものを消毒し、子どもを近づけたくないと思うようになりました。
「祖母が汚い」
そう感じてしまう自分がいました。
もともとの私は、衛生面にそこまで神経質ではありません。
産後の自分と子どもを守ろうとする気持ちと、祖母の介護が、私の中でぶつかっていました。
▶ 祖母を「汚い」と思ってしまった私|産後メンタルと在宅介護で悩んだ気持ち
今は介助量が増えた。それでも、あの頃のほうがつらかった
現在の祖母は、車椅子で生活しています。
おむつ交換や移乗など、身体的な介助は確実に増えました。
それでも、私は今のほうが楽です。
祖母が一人で外へ出てしまうことや、冷蔵庫を開けて食べ物を探すことはなくなりました。
どこで何をしているのか分からず、常に気を張っていた頃とは、介護の負担の種類が変わりました。
今は、必要な介助が以前よりも分かりやすくなっています。
あの頃は、いつ何が起きるか分からない状態が一日中続いていました。
身体的には今のほうが大変です。
精神的には、祖母が動けていた頃のほうが、ずっとしんどかった。
介護の大変さは、要介護度や介助量だけでは測れないのだと思います。
必要だったのは、もっと頑張ることではなかった
あの頃の私は、自分がもっと穏やかに対応できればいいと思っていました。
同じことを聞かれても、丁寧に答える。
祖母の行動を否定せず、優しく声をかける。
それが正しいことは分かっていました。
でも、正しい対応を24時間続けることはできませんでした。
必要だったのは、私がもっと頑張ることではありません。
祖母から離れる時間を作ること。
食事や家事を外へ頼むこと。
困っていることを、そのまま誰かに伝えることでした。
「同じことを何十回も聞かれてつらい」
「ずっと見張っているような生活になっている」
「少し祖母と離れたい」
ケアマネジャーなどに相談するときも、ありのままを伝えればよかったのだと思います。
動ける人を見守る大変さは、介助の回数だけでは伝わりにくいものです。
だからこそ、実際に何が起きているのかを、具体的に伝える必要があります。
動ける認知症の介護がつらいと感じても、おかしくない
動けることは、その人にとって大切な力です。
一方で、介護する家族にとっては、目を離せない時間が増えることがあります。
本人の力を大切にしたい気持ちと、これ以上は見守れないという気持ち。
その両方があっても、おかしくありません。
私は、祖母が動けなくなってから初めて、あの頃ずっと気を張っていたことに気づきました。
今の介護も大変です。
ただ、大変さの種類が違います。
祖母が動けていた頃の私に必要だったのは、「もっと優しくしよう」と自分に言い聞かせることではなく、安心して目を離せる時間でした。
「なめていた私のダブルケア」は
第一子出産後から始まった在宅介護と育児の記録(全13話完結)です。
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1|子どもが幸せでなくなるなら、介護はやらないと思っていた
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ダブルケア【体験記】

