祖母と同居をはじめて、5ヶ月ほど経ったころ。
私は祖母に怒鳴りました。
でも、そのときのことを、あまり覚えていません。
断片的にしか思い出せないのに、
「怒鳴った」という事実と、
そのあとのやるせなさだけは、はっきり残っています。
これは、当時の自分が残していたメモを見ながら書いています。
その日は、祖母の誕生日でした
プリンを買ってきて、
「おめでとう」と言って、
穏やかに過ごしていたはずでした。
夜ご飯は肉じゃがでした。
祖母は鍋に入ったままの肉じゃがを、
何度も菜箸でつついて食べていました。
食べるならお皿によそおうと声をかけても、
「大丈夫」と言われて、また同じことを繰り返す。
気になって、茶碗によそって渡すと、
それはちゃんと食べてくれました。
でも、食べ終わるとまた鍋に戻る。
何度も、何度も。
そのとき、私はついに怒鳴ってしまいました。
「その箸、口に入れてるでしょ。
汚いから鍋に入れないで!」
祖母は言いました。
「あなたは厳しいなぁ」
「“あんた”じゃない!」
「はいはい、〇〇(私の母の名前)」
「違う!」
「じゃあ誰だ?」
「知らないよ!」
気づいたら、大きな声を出していました。
そのとき、子どもが隣で寝ていたことも、
一瞬、頭から抜けていました。
泣いて起きてしまって、
そこでやっと我に返りました。
怒鳴ったところで、何も変わらないのに。
分かっているのに、止められませんでした。
正直、あの頃の記憶はあいまいです
でも、それはきっと、
それくらい余裕がなかったからだと思います。
介護と育児と家事。
その全部を回そうとしていました。
子どもが夜泣きをして眠れない日が続いて、
祖母がデイサービスへ行っている間に家事をして、
帰ってきたら祖母のそばにいて。
自分の余裕はとっくになくなっていました。
疲れているとき、眠れていないとき、
人は普段の自分ではいられなくなります。
私がそれを実感したのが、あの夜でした。
自分がこんな風に、
大声で怒鳴る人間だとは思っていませんでした。
それでも、どこかに残っていた
祖母は、しばらくすると忘れます。
それが、少し救いでもありました。
でも怒鳴ってしまった翌日、
「〇〇(私の母の名前)…〇〇じゃなくて、なんだった?」
と聞かれて、
「yunだよ」と答えると、
しばらくして「yunちゃん」と呼ばれました。
どこかに、残っているんだと思いました。
あのとき、誰かに少し頼れていたら
今思うのは、あの頃の私には
「外に出口」がなかったということです。
誰かに話すこともできなかったし、祖母から離れる時間もなかった。
「ショートステイを使うのは逃げだ」と思っていたから、
助けを求めることもしませんでした。
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同じように、限界を超えている人へ
あのときの私は、完全に限界を超えていました。
同じように
「もう無理かもしれない」
「なんでこんなに余裕がないんだろう」
そう思っている人がいたら、
それはあなたが弱いからではありません。
限界まで、がんばっているだけです。
一人で全部を背負わなくていいし、
誰かに頼ることは逃げじゃない。
私がそれを認められるようになるまでに、時間がかかりました。
家族なのに「汚い」と思ってしまったときの話はこちら
▶祖母を「汚い」と思ってしまった私|産後メンタルと在宅介護で悩んだ気持ち
「なめていた私のダブルケア」は
第一子出産後から始まった在宅介護と育児の記録です。
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1|子どもが幸せでなくなるなら、介護はやらないと思っていた
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ダブルケア【体験記】

