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限界だった私は、怒鳴ったことすらちゃんと覚えていない

怒鳴ったことすら覚えていない 介護の日々のこと
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祖母との同居を始めて、5か月ほどたった頃のことです。

当時、子どもは生後6か月。私は祖母の介護と、初めての育児を同時にしていました。

その日、私は祖母に怒鳴りました。

ただ、何があったのかをはっきり覚えていたわけではありません。この記事は、当時のメモを読み返しながら書いています。

 

祖母の在宅介護は、第一子が生まれた2019年から。いまは子ども3人を育てながら続けています(要介護1→現在は要介護4)。看護師として、2013年から2026年3月まで総合病院で働いていました。この記事は、その体験をもとに書いています。
プロフィール

その日は、祖母の誕生日だった

その日は祖母の誕生日でした。

プリンを買ってきて、「おめでとう」と伝えました。夕食には、肉じゃがを作りました。

祖母は肉じゃがの入った鍋をのぞき込み、菜箸でつつきながら、そのまま食べ始めました。

「お皿に入れるから待ってね」

そう言っても、祖母は何度も菜箸を口に運び、また鍋の中に戻します。

当時のメモには、次のやり取りが残っていました。

「その箸、口に入れているでしょ。汚いから鍋に入れないで!」

「あんたは厳しいなぁ」

「あんたじゃない!」

すると祖母は、私を母の名前で呼びました。

「違う!」

「じゃあ、誰だ?」

「知らないよ!」

その声で、近くで寝ていた子どもが泣いて起きました。

子どもの泣き声を聞いて、私は我に返りました。

祖母に怒鳴ったことも、子どもを起こしてしまったことも、何もかもが嫌になりました。

怒鳴った夜のことを、私はあまり覚えていない

その日のことは、ところどころしか覚えていません。

祖母に怒鳴ったことも、あとから自分のメモを読んで思い出しました。

当時の毎日は、介護と育児と家事で過ぎていました。

夜は子どもの夜泣きで眠れない。昼間、祖母がデイサービスに行っている間は、洗濯や買い物、家事や子どもの世話をする。

祖母と離れている時間はあっても、私が休む時間ではありませんでした。

祖母が帰ってくると、また様子を気にしながら過ごします。

今思えば、私はずっと疲れていました。

でも、その頃は自分でも、どのくらい疲れているのか分かっていませんでした。

怒鳴るほど限界になって、ようやくおかしいと気づいたのだと思います。

ショートステイを使うのは、逃げることだと思っていた

祖母と少し離れる時間が必要だったのだと思います。

けれど当時の私は、ショートステイを使うことに抵抗がありました。

自分が楽をするために、祖母を外へ預けるような気がしていたからです。

「このくらい、自分でやらなければ」

そう思っていました。

誰かに「もう無理」と伝えることもできませんでした。

祖母が困っている話はできても、自分が祖母に怒鳴ったことや、祖母と離れたいと思っていることまでは、なかなか言えませんでした。

翌日、祖母は私の名前を聞いた

祖母は、直前にあったことをすぐに忘れてしまうことがよくありました。

怒鳴られたことも、翌日には忘れているだろうと思っていました。

ところが翌日、祖母は私にこう聞きました。

「〇〇……〇〇じゃなくて、なんだった?」

〇〇は、私の母の名前です。

「ゆんだよ」

そう答えると、祖母は言いました。

「ゆんちゃん」

前日のやり取りをどこまで覚えていたのかは、分かりません。

ただ、何も残っていなかったわけではないのかもしれない。そう思いました。

怒鳴ったことを反省するだけでは、何も変わらなかった

祖母に怒鳴ったことを、正当化したいわけではありません。

でも、「もっと優しくしなければ」と自分に言い聞かせるだけでは、同じことがまた起きます。

あのときの私に足りなかったのは、介護への理解や優しさではありませんでした。

眠る時間と、祖母から離れる時間でした。

介護する側の余裕がなくなれば、普段なら流せることにも強く反応してしまいます。

だから、怒鳴ってしまったときに必要なのは、反省することだけではないと思います。

何が負担になっているのか。

眠れているのか。

介護する人が、一人で抱えていないか。

一度、介護から離れる時間を作れないか。

そうしたことを考える必要があります。

ケアマネジャーや家族に相談するときも、きれいに説明しなくていいと思います。

「怒鳴ってしまった」

「このままだと、また怒鳴ると思う」

「少し離れたい」

そこまで伝えて、初めて分かってもらえることもあります。

ケアマネジャーがついていない場合や、誰に言えばいいのか分からないときは、お住まいの地域包括支援センターが窓口になります。介護している家族の相談も受けてくれます。

あのとき必要だったのは、休むことだった

私は祖母に怒鳴りました。

よくなかったと思っています。

でも、あのときの私に必要だったのは、自分を責め続けることではありませんでした。

少し眠ること。

祖母と離れること。

介護を一人で背負わない方法を考えることでした。

その後、私は祖母のショートステイを利用するようになります。

最初は罪悪感がありました。それでも、離れる時間ができたことで、祖母が帰ってきたときに「おかえり」と思えるようになりました。

祖母の誕生日に怒鳴った事実は、消えません。

ただ今は、限界を超える前に離れることも、介護を続けるために必要だったと思っています。

ショートステイを初めて使った日|罪悪感と、楽さと、「おかえり」と思えるまで

祖母を「汚い」と感じてしまったときのことも、別の記事に書いています。

祖母を「汚い」と思ってしまった私|産後メンタルと在宅介護で悩んだ気持ち

私のダブルケアの記録は、こちらにまとめています。

ダブルケア【体験記】|なめていた私のダブルケア