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看護師だから大丈夫だと思っていた|在宅介護は、病院とはまるで別物だった

在宅介護は病院とは別物だった 介護の日々のこと
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祖母との同居が決まったとき、私は看護師として7年目でした。認知症の高齢者との関わり方は、分かっているつもりでした。

祖母の在宅介護は、第一子が生まれた2019年から。いまは子ども3人を育てながら続けています(要介護1→現在は要介護4)。看護師として、2013年から2026年3月まで総合病院で働いていました。この記事は、その体験をもとに書いています。
▶プロフィール

できることは任せて、穏やかに接すればいい

できることは自分でやってもらう。全部こちらがやりすぎない。頼られることも高齢者には大事だから——。そういう知識は、ひととおり持っていました。だから、穏やかに接している自分をイメージしていました。

生まれたばかりの子どもも、祖母にとってはいい刺激になるはずだと思っていました。なんなら少しお守りをしてもらえたら、そのぶん私が楽になるかもしれない、とも。

自分のことが自分でできなくなったら、そのときは施設に入ってもらおう。できるあいだは一緒に暮らして、ちょっと様子を見ていてあげよう。そのくらいの気持ちでした。

質問は、止まらなかった

環境が変わって不安だった祖母の隣に、家族がいる。質問は、本当に止まりませんでした。

どれだけ丁寧に伝えても、次の瞬間には忘れています。適当に答えれば、質問はもっと止まらない。聞かれないようにメモに書いて渡すと、今度は「このメモは合っているのか」と聞かれる。

動ける時期のしんどさについては、こちらに書いています。
▶動ける認知症が一番つらかった|在宅介護でしんどかった時期の話
▶「やめて」が通じない|認知症の祖母と暮らして分かったこと

病院でできていたのは、私の腕ではなかった

しばらくして、気づいたことがあります。

病院で私がやれていたのは、看護の技術があったからではありませんでした。

車椅子に乗ってもらって、安全ベルトをつける。センサーマットを敷く。何かあれば、病棟の看護師みんなで対応する。そういう仕組みの上に、私は立っていました。

それに、患者さんは私を選べました。この人に聞いても要領を得ないなら、次はあの人に聞こう、と。遠慮もしていたはずです。相手は他人だから。

家では、聞く相手は私しかいません。遠慮もありません。そして、勤務時間が終わりません。

いま思えば、仕事中の私は、高齢者の話を話半分も聞いていなかったのだと思います。

「環境を整えて」が、家では難しい

指導するときは、簡単に言っていました。環境を整えましょう、と。

でも自宅には、触ってほしくないものや危ないものが、そこら中にあります。全部片づけるわけにもいきません。そこは、家族が暮らしている場所だからです。

家に安全ベルトはありません。祖母を縛るという選択肢は、はじめからありませんでした。

赤ちゃんは、いい刺激にはならなかった

祖母は、子どもを見ると「いいわ、いいわ」と言いました。でも、見ているだけでした。あまり接してはくれませんでした。

ときどき、構おうとしてくれることはありました。それでも私は、その手を避けていたと思います。

あの頃の私は、祖母の手がきれいかどうかが分からなくて、祖母のことを汚いもののように見ていました。子どもに触られるのが、嫌だったんです。

▶祖母を「汚い」と思ってしまった私|産後メンタルと在宅介護で悩んだ気持ち

祖母が接してくれなかったのか、私が接させなかったのか。いまとなっては、どちらもあったのだと思います。

思っていたのと、逆だった

自分のことができなくなったら施設に、と思っていました。

でも実際は、祖母が自分のことをできなくなるほど、私の精神的な負担は減っていきました。

全介護になったいま、私は自分のペースで介護ができます。気持ちは、とても楽になりました。

これは、祖母が良くなったという話ではありません。私が強くなったという話でもないと思います。振り回されなくなった、というだけのことです。

それでも、暮らしは確実に静かになりました。