2|利点しかないと思っていた同居

ダブルケア体験記 利点しかないと思っていた同居 なめていた私のダブルケア【体験記】

なめていた私のダブルケア 第2話
ー子育てと在宅介護が同時に始まった、私のダブルケアの記録ー


結婚して、第1子をお腹に授かったとき、家を建てたいと思った。

母に相談すると、「祖母の家があるところに建て直したら?」と提案された。
駅に近く、土地も広い。ひとり暮らしの祖母を見てあげられるし、貯金も控除の範囲で使っていいと言ってくれた。

子育ても手伝ってくれるかも、とさえ思っていた。
夫とも話し合った。
利点しかない、2人でそういう結論になった。

そのころの祖母は穏やかだった。
デイサービスに通い、家ではテレビを見て過ごす。
お惣菜を買い、洗濯も雨戸の開け閉めも自分でしていた。
会話も、ちゃんと成立していた。

「好きにすればいいよ。」祖母もそう言ってくれた。

ただ、環境が変わると認知機能が落ちるかもしれない、という不安はあった。
だから、部屋の間取りやトイレの位置関係を、できるだけ元の家に似せた。

同居が始まる日は、出産予定日の1ヶ月後だった。
育休中で、時間はある。
育児も介護も、なんとかなると思っていた。


赤ちゃんを抱く母と、同じ質問をする祖母

一緒に暮らし始めて、1〜2日で絶望的な気持ちになった。

「デイサービスはまだか?」
「今日は何日だ?」

スイッチが入ると、数分おきに同じ質問が続く。
答えても、また聞かれる。

分かりやすいようにホワイトボードに予定を書いた。
すると今度は、「ここにはこう書いてあるけど、合っているか?」と確認が始まる。

終わらなかった。

もともと時間に厳しい人だった。
人を待たせてはいけない、という思いが強いのだと思う。
デイサービスの時間が近づくと、そわそわし、何度も外を覗き、道に出て様子を見る。

リビングや玄関のドアを開けたまま。

それがいちばんつらかったのは、寒い時期の授乳中だった。

服をめくった状態から動けず、寒い風が吹き込むのを耐えるしかなかった。

外に出て迷子になるかもしれないと見守りセンサーをつけた。
昼夜問わず鳴る音に、私は眠れなくなった。

第1子もよく泣く子で、自分がまとまって眠れることはほとんどなかった。
1日で細切れに2時間眠れればいいほうだった。

赤ちゃん訪問で睡眠時間を聞かれ、
支援が入ると面倒かもしれないと思って、少し多めに「3時間くらいですかね」と言った。
「少ないですね」と返されて、
あれ、これで少ないのか、とぼんやり思った。

たぶん、頭はあまり働いていなかった。


トイレの問題もあった。

祖母が家に来てからトイレが臭くなった。
使用後のトイレットペーパーがサニタリーボックスに入っていたのだ。
やめてもらおうとサニタリーボックスを撤去すると、今度はリビングのゴミ箱に入れられた。
掃除道具入れの中に入っていたこともある。

「トイレットペーパーはトイレに流してください」
と張り紙を貼った。
それでも流すときもあれば、流さないときもある。

排泄後に手を洗わないこともあった。
ペーパーの使用量が少ないことまで気になる自分がいた。

利点しかないと思っていた同居は、
思っていたよりずっと苦しかった。

不眠は、じわじわと人を壊す。

怒鳴ったわけではない。
暴れたわけでもない。

でも、頭の中は荒れていた。
祖母の行動が全部気になって、目で追ってしまう。
何度言っても分かってもらえない。
苛立ちが止まらなくなった。

「どうせ覚えていないんだから、後ろから蹴飛ばしても分からないんじゃないか」

夫に、本気でそんな話をしたことがある。

限界だった。

怒りの矛先は、母に向いた。

育児の大変さを知っているはずなのに、
どうして、子どもが生まれたばかりの私に同居を勧めたのだろう。

感情のままにLINEを送った。
責める言葉を並べた。

あのときの私は、誰かのせいにしなければ立っていられなかった。

骨折も、脳梗塞も、まだ先の話。

でも、いちばん余裕がなかったのは、
この“動ける認知症”のころだったのかもしれない。

私は、育児も介護も、なめていた。


この記事は「なめていた私のダブルケア」第2話です。

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1|子どもが幸せでなくなるなら、介護はやらないと思っていた

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