11|それでも祖母を家に連れて帰りたい

ダブルケア体験記 それでも祖母を家に連れて帰りたい ダブルケア

なめていた私のダブルケア 第11話
ー子育てと在宅介護が同時に始まった、私のダブルケアの記録ー
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祖母が脳梗塞で入院した次の日、
上の子に聞かれた。

「ばあちゃんどうしたの?」

血液って、全身に栄養を届けている。
血管は、その血液が通る道。

ばあちゃんは、その脳の血管が詰まってしまったみたい。

血が流れなくなると、酸素や栄養が届かない。
脳は「体を動かして」とか
「しゃべって」とか
そういうお願いをする場所だから、

それがうまくできなくなってしまうの。

できるだけ細かく分かるように伝えた。

「え、ばあちゃん大丈夫なの?」

今は点滴で悪くならないようにしているけど、
右手は動かなくなるかもしれないね。

そう伝えると、上の子は言った。

「そうなんだ。なら左手でやればいいね!」

なんてポジティブな発想なんだ、と思った。

「右手も治るといいね。
お見舞いに行きたい。ばあちゃんに会いたい。」

じゃあ、園のあとで会いに行こうか。


それから子どもたちは、
毎日のように言った。

「お見舞いに行きたい。」

できる限り、祖母のお見舞いに行った。

顔や手を拭いたり、
クリームを塗ったり、
マウスケアをしたり。

私がしていることを真似して、
子どもたちも一緒にやった。

「絵を書いたら見てくれるかな。」
「ばあちゃん寂しくないかな。」

そう言って絵を描いたり、折り紙を折ったりして、
祖母のベッド柵に貼っていた。

私が何も言わなくても、
子どもたちは自然にそういうことをした。

優しいなと思った。
すごいなとも思った。


「ばあちゃん早く帰ってきてほしい。」
「いつになったら帰れるの?」

下の子にそう聞かれて、

「そうだね。帰ってこられるといいね。」

としか言えなかった。


入院して3日ほど経つと、
嚥下テストやリハビリが始まり、
少しずつ食事が再開した。

ありがたいことに、
食事はむせずに食べることができた。

車椅子にも、短い時間なら座れるようになった。

その頃から、ふと思い始めた。

自宅介護も、いけるかもしれない。


頭の中で何度も生活を想像した。

今すぐはできないけれど、
産後少し経てばいけるかもしれない。

そして、一つだけ決めた。

介護をやめる基準。

「笑顔でばあちゃんに挨拶できなくなったら、やめよう。」

それを夫にも話した。

夫は

「分かった。」

と受け入れてくれた。


リハビリ転院してからは、
病院が家から離れた。

出産間近で、
産後すぐの時期でもあったので、
必要最低限しか行けなくなった。

それでも私は、
明るい気持ちで出産・育児に集中することができた。


入院した頃、
睨まれているように感じた祖母の表情は、

大きく変わったわけではないけれど、
なんとなく穏やかになった気がした。


無事出産が終わり、
退院の調整をしている最中、

祖母は右足首を骨折した。

それにより、
予定より退院は遅れた。

そして、

第三子が生後4ヶ月のとき、
祖母は退院した。

落ち着いたタイミングだった。

言い方は難しいけれど、
少しありがたかった。


いろいろなことが重なって、

整った状態で祖母を迎え入れることになった。


この記事は「なめていた私のダブルケア」第11話です。

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10|ショートステイから戻らなかった言葉

第12話▶ 
12|祖母が帰ってきた日

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