なめていた私のダブルケア 第5話
ー子育てと在宅介護が同時に始まった、私のダブルケアの記録ー
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認知症の祖母は、よく外に出ていた。
その日曜日の夕方も、いつものように外へ出ていた。
すぐ戻ってくると思っていた。
だから、特に気にも留めていなかった。
少し帰りが遅いなと思って玄関を開けると、
祖母は玄関ポーチの下に落ちていた。
「やってしまった。」
駆け寄って声をかける。
「大丈夫?」
「いつからここにいるの?」
「うん、ちょっとな。」
まともな返事にはならない。
体を起こそうとすると
「痛い!」と叫んだ。
これはダメだと思った。
初めて救急車を呼んだ。
私は救急車に同乗し、
子どもと夫には家で待っていてもらった。
診断は
大腿骨頸部骨折だった。
高齢者の転倒でよく起きる骨折だ。
手術が必要だと言われた。
そのとき、医師から
「脱水もあります」と言われた。
飲み物をちゃんとあげていなかったのではないか。
脱水でふらついて転倒したのかもしれない。
そう思い、反省した。
手術は無事成功した。
三週間後にはリハビリ病院へ転院した。
病院とのやり取りは手間だったけれど、
祖母が家にいない生活は、正直かなり楽だった。
家の中の空気が、軽かった。
高齢なので歩けなくなる可能性もあると言われていたが、
リハビリには積極的だったそうで
退院前には手引き歩行で歩けるまで回復していた。
退院に向けて、
家にベッドとポータブルトイレを用意した。
玄関に手すりを取り付けた。
退院後、
祖母はつたい歩きで、どんどん歩くようになった。
支えるところがないと、
祖母は少し遠くの壁を見つめる。
そして狙いを定めて、
倒れ込むようにそこへ歩いていく。
見ていて怖かった。
「座って待っていてね。」と声をかけても
すぐに歩き始める。
動きを止めることはできない。
だからせめて転ばないように、家の中の物をどかした。
それでも
退院後半年して玄関の段差で転んだ。
今度は恥骨骨折。
そこで、ようやくベビーゲートをつけた。
実は、同居が始まったころから
ベビーゲートは何度も頭をよぎっていた。
でも、できなかった。
外に出られないようにするのは
拘束ではないかと思っていたからだ。
仕事柄、
「身体拘束はできるだけしない」
という考え方が染みついていた。
ベビーゲートをつけることに、
罪悪感があった。
かわいそうだと思われるのが嫌だった。
誰の目を気にしていたのだろう。
でも、放っておけば転ぶ。
骨折してしまう。
祖母を守るため、という名目で
玄関に続く廊下と
リビングへ行く廊下の二か所にゲートをつけた。
祖母を守るため。
そう言いながら、
実際にはもう一つ守られていたものがあった。
私たちの空間だ。
祖母の動きを常に気にしなくていい。
こちらから様子を見に行けばいい。
それだけで、
精神的にだいぶ穏やかになった。
自分たちの空間が守られているというのは、
思っていた以上に大きかった。
そして、
その安心が、油断を生んだのだと思う。
ある日、
ベビーゲートを閉め忘れた。
祖母はまた転んでいた。
ベッドからずり落ちていたこともあった。
転倒するたびに骨折し
脚の力は落ちる。
リハビリで、少し戻る。
でも、また転ぶ。
認知症の高齢者は転倒が多いことは知っていた。
でも、実際に家で介護してみると
想像していたよりずっと多かった。
祖母の筋力はゆっくりと、確実に落ちていった。
そうして祖母の移動は、
車椅子になった。
この記事は「なめていた私のダブルケア」第5話です。
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