4|新築でも、安心は手に入らなかった

ダブルケア体験記 新築でも安心は手に入らなかった なめていた私のダブルケア【体験記】

なめていた私のダブルケア 第4話
ー子育てと在宅介護が同時に始まった、私のダブルケアの記録ー


祖母の家を解体して、新しい家が建つまで六か月。

何度も限界を感じた。

でも、祖母の家はもう壊してしまった。
家を建てるために、祖母のお金も一部使わせてもらった。

数か月で「無理です」とは言えない。

根性がないと思われたくなかった。

せめて一年くらい続ければ、
がんばったよね、と言ってもらえるだろうか。

そんなことを本気で考えていた。

家が建てば落ち着く。
祖母の部屋ができれば大丈夫。

1LDKの小さなアパートでみんな一緒にいるのが辛いだけ。

新居が完成する日を、楽しみに待っていた。


同居から半年。

家が建った。

祖母の部屋は、元の家を参考に作った。

仏壇の位置。
床の間。
畳の色。
部屋からトイレまでの動線。

できるだけ似せた。

環境を整えれば、落ち着くはずだった。


一人暮らしをしていたときのように、自分の部屋で穏やかに過ごしてくれたらいい。

そう願っていたのに、祖母はいつもリビングにいた。

「自分の部屋に行ったら?」と聞くと、

「ここのが格好がいいから、こっちがいい。」

テレビをつける。
音量は大きい。

赤ちゃんにはできるだけ映像を見せたくないのに。
音楽を流したいのに。

結局、祖母はいつもリビングでテレビを見ていた。


祖母は外にもよく出ていた。

玄関は二重ロックにしたので、最初はうまくいっていた。

ロックをかけていれば、外には出られない。
出かけるときは鍵をかけて、
私が家にいるときは鍵を開け、自由に出入りできるようにしていた。

“対策できている”と思っていた。


ある休みの日、家族で出かけた。

帰宅すると、祖母が玄関の外に立っていた。

鍵は、開いていた。

“絶対”はなかった。

休みの日のおでかけのハードルが、また少し上がった。


ちょうどその頃、世の中はコロナで騒ぎ始めていたらしい。

スーパーに「マスクは一家族一個まで」と売られていた。
そんなに安売りなのかな、と思っていたら、翌週には消えていた。

みんなが必死に求めていたことを、私は知らなかった。
それだけ、毎日がいっぱいいっぱいだった。

外出自粛の空気。SNSからキラキラが減った。

祖母があちこち行ってしまう私たちには、ある意味ちょうどよかったのかもしれない。
どうせ、自由には出かけられない。みんなが家にいる。

それは、不思議と救いだった。

もしあのとき、旅行やランチの写真が流れ続けていたら、
私はきっと「なんでうちはできないんだろう」と比べて、削られていたと思う。


お腹に二人目が来てくれた。

そんなある日。

祖母は玄関の外で転んでいた。

ここから、また新しい大変さが始まろうとしていた。


この記事は「なめていた私のダブルケア」第4話です。

◀第3話
3|食べ続ける祖母と、止める私

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